ご挨拶
象は自力で食べ出せなくなったら森の中に消えていくという。
人はお世話を受けるのが当たり前と思っている。
どちらが文化的なのかは解らない。
そろそろ、人間も、てめえのおとしまえは、てめえでつける文化が生まれてもいいんじゃないか。
さて、だから真面目に書こう。

臭いものにフタをしてはいけない。    
毎回、「洗浄機能付トイレ」を使うあなた、お股に便をつけたまま生きていられますか?現在どこででも行われている介護です。
介護者もオムツしかないから仕方ないのです。先端医療の先は「お股に便」が待っています。この落差。
余りに貧しい人生の末期。ならば何とかするしかない。~江戸っ子の先走り。~  さて、現場に戻ってみましょう。よく見る風景。
ついに、トイレに間にあわなくなった。→汚してそれを下着でぬぐう→オムツを宛がわれる。 このおまかせコースの生活の中では
威厳もプライドも捨てなければ生きていけない。家族や介護者と立場が逆転し支配下に置かれる。
本人が頭脳明晰で、尿便意があればなおさら辛い。心に凶器を突きつけられるほどの屈辱だ。いきなり「介護」という名の下で秘部を白日の下にさらけだす。
これぞ虐待行為に他ならない。 では、どうしたらいいのか。

1、使える機能が残っていれば自力で用がたせるもの。

2、トイレまでは行けないが少しなら歩けて用がたせるもの。(ポータブルTほど大袈裟なものでなく)

3、健常者が予防的に使えるもの。

4.寝たきり生活でも排せつ物がお尻にべったり付かないもので簡単に洗えるもの。

5、介護者にとっても負担軽減できるもの。

これだけはどうしても揃えたい。かくして納得するものができるまで20数年もかかってしまった。あえて「介護トイレ」とはいわないで
動作を補って助けてくれる意味で「補助トイレ」とする。これを使うことで、介護者共々楽になり、人生の後半を堂々と過ごしていただけると信じます。
「補助トイレ」開発の経緯

夢のベッドが欲しい。―作っちゃおう。ーこれはいい。
 
 24時間ベッドで「生活」できないかと思いついたら、もう手が 動いていた。20年以上前からトイレだけ付いているベッドは 作っていた。しかし、そこで生活全般できないか。

よし、やってやろうじゃないの。又、悩み、苦しみ、バッシングが始まった。
最も難しいトイレ部分は20年以上の蓄積がある。分厚いアンケートを見直して
問題点を拾い出し改良した。

 「生活」の中で最も重視したのは{自力}。出来ないこと、辛いこと、に甘んじて他者に依頼する風潮の中、使える手や足、頭脳、思考力、を駆使して{自力で生活できること}を中心に開発した。

 勿論、終末期には寝たきりにもなろう。でもせめてオムツの中はきれいに洗えるものを作ろう。気力、努力だけでは生きていけない。その部分だけ助けてもらえばいい。
 
以下私の体験報告:
 
自分で試した。ちり紙、タオル、おしぼり、歯ブラシ、コップ、水、洗面器、最低限の洗面用具、鏡、パン、牛乳を用意した。

1.夜は通常のベッドとしてTVをみながら寝た。

2.夜中尿意を催したのでマットの蓋を一つ外しておしっこした。洗浄、バキュームはせずビニール袋で受けた。お尻を拭いた紙を入れて吸わせた。おしぼりで手を拭く。

3.朝になった。起き上りベッドを2つに離し座った。事前に用意したテーブルで歯を磨きコップでゆすいだ。手が届くので楽だ。

4.どうしても新聞が読みたくてついに歩いて取りにいった。着替えをすれば寝ているのが嫌になるのでパジャマのままにする。

5.今度は便意がある。便は楽だった。重いし下に落ちるので。シャワー洗浄、バキュームを済ます。お尻を拭いた紙も吸われてタンクに入っていく。

6.ベッドを戻して又ひと寝りした。面白くて2~3度洗浄、バキュームしていたらタンクの中を見たくなって起きてタンク中身を捨てにトイレに流した。

これなら生活できる。障害が出ても最低のお世話ですむ。
元気なうちに慣らしておけば生涯自力も可能だ。頭さえしっかりしていればだけど。
どうぞみなさま老後に不安を持たずに安心して家でマイペースで全うしてください。
代表プロフィール

昭和12年 東京に生まれる
青山学院高等部より日本大学歯学部卒業

歯科医師 父の後継で50年間歯科医院開業

平成5年 世界初、洗浄バキューム機能とベッドを結合させたトイレを制作販売。
その後、新製品開発の都度、大手新聞、専門雑誌、業界雑誌などに数多く掲載される。
平成28年 伊那製作所の協力を得て「補助トイレ1型」を開発。

診療と並行して介護機器の開発研究。
福祉用具専門相談員。
排せつケアアドバイザー。